昭和十三年東京市上水道建設計画に基
く小河内貯水池「現奥多摩湖」実現の
為山梨県丹波山小菅東京市小河内村関
係の犠牲者は祖先傳來の墳墓の地を断
腸の思いを籠めて立ち去り八ヶ岳山麓
の開墾地に入植以來八ヶ岳部落と命名
し此の地の草分として三十三年に亘る
辛酸を経て今日茲に父母先輩の霊を祀
る日を迎えるに当り開拓の父と仰ぐ当
時山梨県営八ヶ岳山麓開墾事務所長農
林技師安池興男先生御夫妻「静岡市西
草深町在住」の霊を私共と共々永く此
の地に分祀することの了承を得て温情
を慕い開發の祖と仰ぎ永久に師の偉業
を後世に伝え記さんとす
昭和四十六年十月三十日
八ヶ岳開墾地入植者並後継者
順序不同 酒井久重髙橋六郎嶌崎大弼根津吉夫
小須田正市小峰寅雄青柳精一小林貫哉舩木常治
星野民五郎根津由夫嶋崎玉一嶋崎栄作岡部永幸
岡部輝雄酒井きく小峰辰巳小清水髙重小林弘之
青柳伝兵ヱ嶌崎和雄 以上
感激の至情
樂土を拓く
興男
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