[碑文]
旧二條城跡 昭和四十五年三月 京都市
永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390メートル四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。 周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの記録等より)その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。 天正4年(1576年)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材として再利用された。 尚、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の将軍の居館として慶長7年(1602年)に築かれた。 所在地:京都市上京区烏丸下立売 築城者:織田信長 形 式:平城 築城年:1569(永禄12年) 学校法人 平安女学院