ACe建設業界
2011年7月号 【ACe建設業界】
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ACe2011年7月号>建設の碑
 

[建設の碑]

依田勉三翁之像と帯廣発祥の地記念碑
帯広開拓の恩人

 
 
 
江口知秀 (Eguchi Tomohide) 東日本建設業保証(株) 建設産業図書館

依田勉三翁之像

[交通]
依田勉三翁之像 JR帯広駅から徒歩20分 中島公園内
帯廣発祥の地記念碑 中島公園から徒歩10分

 5月初旬の帯広は、とても寒かった。昼までの好天は一変して、寒風が薄着の私たちを攻め立てた。そんな天候の急変は、はやばやと同行者を無口な人に変えていた。爆発の兆候だった。

 初めて出会った頃は「江口さんのお相手は、たくさん歩ける人じゃなければだめですね」などと笑っていたが、何の因果か自分がたくさん歩く破目になってしまった。今回は、彼女の実家へ遊びに来たのだが、やはり取材がしたくなった私に付き合って、すでに10kmほど歩いていた。

 静かになった同行者に怯えながら、言葉少なく歩きつづけると、依田勉三翁之像が建つ中島公園にたどり着いた。依田勉三氏は静岡県賀茂郡の豪農の生まれで、学業優秀だった彼は慶応義塾に進み、独立自尊と北海道開拓の重要性を説く福沢諭吉の謦咳に接した。依田氏が未開の大地に憧れを抱きはじめたのは、おそらくこの頃であり、さらに北海道開拓構想「ケプロン報文」が直接的な影響を与え、兄の佐二平らと北海道開拓を目的とする農事会社「晩成社」を設立した。明治16年に総勢27人の移民団を結成すると、現在の中島公園から国道38号線を東へ10分ほど歩いた水光園付近に入植した。そこには「帯廣発祥の地記念碑」が建てられている。

帯廣発祥の地記念碑

 出発に先がけて依田氏は一首の歌を詠んだ。「ますらおが心定めし北の海 風吹かば吹け波立てば立て」。いかにも若者らしい決意と大志に溢れているが、夢と現実はあまりにもかけ離れていた。晩成社は、当初の目的として15年で1万haの土地開墾を掲げていたが、実際に開墾できた土地は5年間で20haに過ぎなかった。移民団は、食うや食わずの生活を強いられ、一人また一人と去っていった。

 その後も依田氏は、牧場経営やでんぷん工場などを手掛けるが、ことごとく失敗に終わり、大正14年に帯広で苦難の生涯を閉じた。彼の死後、昭和7年に晩成社は解散するが、一銭の金、一坪の土地も残らなかったという。

 銅像の写真を撮っていると、「これを建てたのは、中島みゆきのお祖父さんだよ」と地元っ子らしい情報を同行者がくれた。彼女の言う中島武市氏は、市議会議員や商工会議所会頭などを務めた帯広の名士だった。中島氏は、依田氏の偉業に深く感銘し、市民精神教育の目標として銅像建設を思い立つが、時悪しく、完成した昭和16年6月は日中戦争の真只中であり、真珠湾攻撃のわずか半年前だった。銅像は、完成から2年後に金属回収の洗礼を受け、現在の像は、やはり中島氏の発意によって、昭和26年7月に再建された。

 浅学の私には、中島氏のように依田勉三氏の業績を評価することは難しい。しかし、今ある帯広は確かに依田氏の艱難辛苦の跡に成されたもので、彼がいなければ、私がこの地を、このような形で訪れることは、なかったかもしれない。寒い、つらい、と喚きだした同行者をなだめながら、十勝平野の遙かを見つめる銅像に心から感謝をした。

碑文(台座裏1)

功業不磨
咢堂題

依田勉三君ハ伊豆ノ人夙ニ北地開墾ノ志アリ明
治十五年晩成社ヲ組織シ自ラ一族ヲ率ヰテ此地
ニ移住ス凶歳相次キ飢寒身ニ迫ルト雖モ肯テ屈
撓セス移民ヲ慰撫激勵シテ原野ノ開拓ニ努メ更
ニ水田ヲ闢キ酪農事業ヲ興シ諸種ノ製造工業ヲ
試ムル等十勝國開發ノ翹楚トシテ克ク其範ヲ示
ス十勝國ノ今日在ルハ君ノ先見努力ノ賜ナリ岐
阜縣人中島武市此ノ勞效ヲ欽仰シ私財ヲ投シテ
之ヲ永遠ニ讚ヘントス誠ニ宜ナリト言フヘシ
紀元二千六百年二月十一日建立

  題  字 正二位勲一等 男爵  一木喜徳郎
  篆  額 正三位勲一等     尾崎行雄
  撰  文 従二位勲一等 男爵  佐藤昌介
  書  字 帯廣市長正六位勲五等 渡部守治
  銅像製作 東京市        田嶼碩朗
  建  設 帯廣市        中島武市

碑文(台座裏2)

賛辞
本日ここに十勝開拓の先人
依田勉三君の銅像除幕式が
擧行せらる誠に慶賀にたえ
ざるなり君の十勝開拓に志すや
終始一貫堂々としてたゆまず
あらゆる困苦欠乏にたえ初志の
貫徹に邁進すること四十有五年
今日十勝平野開發の基礎を
確立せるは洵に敬仰にたえず
今や食糧の生産確保に益々
飛躍進展を希求せらるる時機に
際し君が本道開拓の先覺としての
偉業を偲びその功績を永く後世に
傳えんがため十勝商工會連合
會頭中島武市君獨力で銅像の
建立をはかりここに建設をみたるは
蓋し機宜を得たるものというべく
世道人心の作興に資するところ
少なからざるべし

昭和十六年六月二十二日
農林大臣井野碩也

帯廣発祥の地記念碑(表)

開基明治十六年
帯廣発祥の地
國務大臣北海道開発庁長官福田篤泰

帯廣発祥の地記念碑(裏)

開墾の
はじめは
豚と
一つ鍋

開拓の祖
依田勉三作
帯広市長 吉村博書

昭和四十一年建之
創立三十周年記念
帯広ロータリークラブ

 
   
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