受賞報告

第1回 土木賞

荒瀬ダム本体等撤去工事

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所在地
熊本県八代市坂元町荒瀬地内
施設管理者
熊本県
設計者
株式会社建設技術研究所
中電技術コンサルタント株式会社
施工者
フジタ・中山建設工事共同企業体
関係者
株式会社日本発破技研
着工年月
2012年4月1日
竣工年月
2018年3月20日

受賞理由

国内初となる本格的なコンクリートダム撤去工事である。インフラの老朽化に伴い、将来的には補修や更新だけでなく、構造物の除却(撤去)が確実に増える。本工事はそれらの先駆けであり、施工計画や環境配慮の考え方・手法などは、今後の類似事業での指針となり得る。
熊本県八代市の荒瀬ダムは、一級河川・球磨川水系球磨川に熊本県が築造した水力発電用のダムで、堤高25m、堤頂長210.8m、形式は可動堰付き重力式越流型コンクリートダムである。1954年から発電を開始し、当初は県内の電力需要の16%を支えていたが、その割合は徐々に低下。地元からダムの撤去を求める声が上がり、球磨川の水利権が失効した2010年、熊本県はダム撤去の方針を表明した。これを受けて2012年度から2017年度にかけて行われたのが本工事である。
施工の特徴は、発破を用いてダム本体の撤去を行ったことである。国内ではコンクリート構造物を発破によって撤去する例は珍しく、河川内での施工では、PC橋撤去などでわずかに採用例がある程度である。
河川内作業が非洪水期に限られていたことや、周囲に民家が存在していたことから、施工プロセスの改善によって工期短縮を図り、周囲への影響を抑えた。例えば、当初は門柱上部から高さ2.3mごとに順次、発破して門柱を撤去する計画だったが、上部を事前撤去した後で根元から倒壊させる「倒壊発破」に変更。門柱1基当たりの発破回数を約3分の1に減らした。河川締め切り工法の変更なども併せ、河川内の作業工程を約1年短縮した。なお、球磨川流域では2020年7月、本ダムより上流の人吉市などで大規模な浸水被害が発生したが、本ダム周辺ではダム撤去による浸水への影響がなかったことを付言しておく。
以上のことを評価し、日建連表彰土木賞に値するものと認められた。

プロジェクト概要

日本三大急流のひとつである熊本県球磨川の河口から約20kmの地点に建設された発電専用ダムである荒瀬ダムの撤去工事。1954年に発電を開始し、当時はその発電量が県内電力の約16%を占め、熊本県経済の発展に大きく貢献し50年にわたり電力を供給してきた。しかし、2010年3月31日に荒瀬ダム水利権が失効したことから発電を停止し、2012年から6カ年かけてダム本体を撤去した。

企画・設計・施工のポイント

ダム本体撤去手順
河川の右岸側が元の澪筋となっているため右岸先行スリット工法が採用された。各年度毎に撤去範囲を定め、6カ年を掛けて段階的に施工を行うこととなった。施工時期の条件として河川環境に配慮したため、河川作業(陸上部)の期間は11月初旬から3月中旬(4.5カ月)、河川内作業(水中・水上部)の期間は11月中旬から2月末(3.5カ月)と定められていた。洪水高さから上部の作業については、通期で施工が可能となっていた。
撤去したコンクリート殻については、200mm以下に破砕して導水路トンネル内に充填し、余ったコンクリート殻については、産廃処分とする計画であった。
当初撤去範囲は延長158.4m、底板部(澪筋部)は全撤去とし、底板部(左岸部)は元の河床から2m下までを撤去範囲として計画されていた。しかし、最右岸側の門柱をダム下流の護岸保護と、地域からの要望もあり、史跡として残置することになったため、最終的に撤去延長は148.4mとなった。

イメージ ダム本体撤去順序

門柱部撤去
当初は、①作業足場組み立て、②構造物の撤去は鉄筋を事前にウォールソーにより切断、③作業足場の解体、④昇降足場・安全手摺組み立て、⑤躯体上部から高さ2.3m毎に制御発破準備、⑥昇降足場・安全手摺解体、⑦制御発破により破砕、⑧ロングアームの解体用バックホウにより上部の破砕殻を押し落とし、⑨破砕殻の積込み運搬、④~⑨を繰返し行う計画となっており、④~⑨が1日の施工サイクルとして計画されていた。
門柱上部の制御発破による保安物件への被害および、高所から殻を押し落とす等安全と周辺への影響を考慮し協議の上、門柱上部はワイヤーソー工法とクラッカー工法によりブロック状に切断し撤去する工事を洪水期に施工するよう変更した。門柱下部についても、非洪水期内に安全に施工するため、基礎部天端より上部からダム横軸方向に倒壊させ、その後、制御発破により小割する工法とした。

イメージ 門柱の破砕工法概要図(当初)
イメージ 門柱の破砕工法概要図(変更)
イメージ 門柱部撤去状況

基礎部撤去
基礎部の撤去は基本的に「ベンチカット方式」とし、地上部を3ベンチ程度に分割した。また、右岸澪筋部はコンクリート部を全撤去とし、左岸部は元の河床より2m下まで撤去した。澪筋部はエプロン部をドライな状況で施工するよう計画し、左岸部は締切りが河床砂礫による締め切りのため、遮水効果が無く水中発破で撤去した。それにより、発破順序およびベンチ回数の変更が必要となった。右岸側エプロン部の発破では多段発破となったため、IC雷管を使用し、各段の爆薬量を調整し、振動・騒音を抑えることができた。

イメージ 基礎部撤去概要
イメージ 変更基礎部(澪筋部)撤去概要

環境・維持管理
濁水処理機(60 ㎥/h)による濁水処理の実施、河川内に汚濁防止膜の設置、河川を極力濁さないような掘削の実施など周辺環境への配慮を欠かすことなく施工した。また、振動・騒音低減のための制御発破の実施、水中発破での水中生物への影響を考慮した対策の実施、安全を最大限配慮した中での必要最低限の交通規制などを行い、モニタリング調査結果において工期を通して異常はなかった。
ダム上流側の堆積土砂をダム撤去に合わせて段階的に撤去し、ダム建設前にあった中洲が復旧した。堆積土砂をある程度人為的に撤去することで、洪水期の増水などで流出する土砂の数量を減らし、急激な環境負荷を低減した。ダム近辺では鮎の遡上が確認されカゲロウ、カワゲラといった水生昆虫などの生息数も回復し、河口の干潟では徐々に生態系回復の兆しがみられるようになった。
工事の段階が進むにつれ水質が改善され、工事完了後はラフティングや鮎やななどの観光事業による地域の活性化が行われている。
また、構造物の周辺整備として、構造物を一部遺構として残し、展望スペースとして公園整備を行った。現在は史跡として地図上に登録されており、日本初のダム撤去の地として、観光地になっている。

イメージ 公園整備ゾーン
イメージ 右岸側公園
イメージ 左岸側公園
施工プロセスの特徴

施工プロセスの改善
環境維持に関しては、建設工事に伴う公害の防止に努め、一部埋め戻し工事におけるトンネル内での作業においてはBDF(バイオディーゼル燃料)を使用し、CO2削減及び作業環境の改善を実施した。
交通の確保および特別な安全対策に関しては、構造物撤去時に発破作業を行うことから、地元警察・消防の協力を得て、パトカーによる通行止めを行い、規制時間を短縮した。また、発破による飛散防止対策を実施し、退避範囲を広げ、第三者及び施工者の安全を確保した。発破による撤去パターンの変更や、河川締切工法の変更により、施工者の安全が確保できた。
省資源またはリサイクルに関しては、工法変更による工程短縮を実施し、エネルギー消費量を削減した。また、破砕したコンクリートの再利用箇所を増やし、産廃処理量を抑制した。

良質な社会資本の効率的創出
ダム撤去による自然景観の回復により、地域の新しい産業(観光)が創出された。また、遺構として部分的に本体を残し、一部を公園化することで、史跡としての役割も担っている。
河川内工事は当初6年を掛けて行う予定であったが、工法及び撤去順番の見直しにより1年短縮した。日本初のコンクリートダム撤去であったが、地域の協力のもと、各方面で知恵を出し合い、創意工夫することで当初通り期間内での施工を実現した。

土木技術の発展・伝承
技術の伝承として、工事記録誌の刊行や、土木学会での論文発表、専門誌への論文掲載、特許取得による技術認定など、記録として保持し、施工中においては、海外や全国からの視察・見学を1,812名(121団体)受入れ、見聞を広めた。また、監理技術者講習の教材としても使用された。
日本初の事業であり、2020年現在においても他に例を見ない特別な事業となっている。