村林大輔さん
JFEエンジニアリング株式会社・津製作所
鋼構造物工
鋼構造物工は、建設現場に運び込まれる前の鉄骨部材を工場などで加工する仕事です。設計で決められた寸法通りに切断する、部材同士を正確に溶接する、錆防止のために表面を塗装する…といった工程があります。鉄骨の加工精度は構造物の性能に直結するため、責任重大な工種です。
村林大輔さんは、1980年生まれ。高校でソフトボール部に所属していたところ、日本鋼管(JFEエンジニアリングの前身)の津製作所ソフトボールチームから勧誘があり、いわゆる社会人選手として入社した。
「当時の監督さんから、『ウチでやってみないか』と誘われまして。その時、ここで船や橋の鉄骨を作っていることも聞いて、『地図に残るようなダイナミックな仕事だ』と思ったのを覚えています」
現在のJFEエンジニアリング・津製作所は、鋼製の橋梁・沿岸構造物・コンテナクレーンやトンネルのセグメントを製作している大きな工場だ。
「選手だった頃も昼間は普通に仕事をして、終業後にソフトボールの練習をしていました。当時は取付職や進捗管理をやってましたね」
ソフトボールチームのエースとして活躍していた村林さんだったが、その後故障に悩まされることになる。
「最初は22歳の時に右ひざを悪くして手術して。次は25歳で今度は左ひざ。両ひざの半月板を手術して、もう限界かなと」
25歳の若さで現役を引退し、社業に専念することになった。
入社から7年ほどでソフトボール選手を引退、その後いくつかの工程を担当してきた村林さんが、30歳の頃から現在まで約9年間従事してきたのが「塗装工程」。橋梁鉄骨は海や河川など湿気の多い環境にさらされることが多いため、防錆処理として表面に塗装を施す。その工程管理者が、今の役割だ。
「一番長く担当しているので、自分でも思い入れがあります。規模が大きいし、海外の橋の部材もあるし、世の中の役に立っているという感じがしますね」
現在は管理職なので、村林さん自身が塗装するわけではないが、「塗装には禁止条件があります。湿度が高いとか気温が低いとか…その日の条件を見て、塗装を行うかどうかを決めています」
塗料の種類や塗装する部材の面積、表面温度など諸条件と納期も勘案した上で、作業の可否を判断しなければならない。いったん塗装を始めたら途中でやめることができないので、その決定は重い。
「塗装で難しいのは、仮に悪い条件下で塗ってしまったとしてもそれがその場ではわからなくて、あとになって塗装面が剥離してきて判明する、というところですね。溶接だったら出荷前の色々な検査で不良個所がわかりますけど、塗装はわからないので」
禁止条件が決まっているとはいえ、工程との兼ね合いもあり微妙な条件下で作業せざるを得ないケースもある。しかしその判断が正しかったかどうかがわかるのは、何層にも塗り重ねたあとなのだ。
「大変なのは、現場に建て込んだ後で剥離が発生するケース。クレームが来て、現場まで行って塗り直したこともあります」
これまでに手がけたなかで、印象に残っている案件は?
「たくさんあるんですが、一つ挙げるとしたら『伊良部大橋』ですね。沖縄の伊良部島という離島に架かっている橋で、ペンキの代わりに“金属溶射”という方法を使いました」
金属溶射とは、亜鉛やアルミニウムといった金属の材料を熱で溶かし、微粒子状にして鋼製部材の表面に吹き付ける防食法。もちろん通常の塗装に比べて手間がかかるし、要求される技術も高い。道路橋への採用例は少ないが、伊良部大橋は海上に架かっており、島のライフラインも兼ねているため特殊な仕様となった。通行料金を徴収しない橋としては日本最長(3,540m)の橋としても知られる。
「かれこれ10年近く塗装を担当してきましたけど、“金属溶射”はなかなか機会がないのでいい経験になりました。それなりにやってきたつもりでも、まだまだ覚えることがたくさんあって奥が深い。今はこの道を極めたい、という気持ちで取り組んでいます」