令和の健人

新時代「令和」を担う技能者。
「令和の建人」は建設業のなかで重要な技能を誇り、その修練に努める次世代の人々を追う企画です。
多くの技能の中には受け継がれてきた人の想いが詰まっています。それらを掘り下げ、日々の仕事を記録すること。これらがきっと建設業にひとすじの光となり、新時代への道筋を照らすと信じて。

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第7回

風と空気を感じ、“その場になじむ景色”をつくり出す

久住有生さん

左官職人
建物の壁・床・土塀などを、鏝(こて)を使って、漆喰(しっくい)・土・コンクリートなどの建材で塗り固め、美しく仕上げる職種です。仕上げた壁がそのまま見える状態で残る場合もあれば、壁紙や塗料などで覆われて見えなくなる場合もあり、求められる精度もその都度変わります。
本来平らでなければならない壁や床に凹凸が生じることを「不陸」(ふりく・ふろく)と呼び、左官職人はこの「不陸」がない壁・床を仕上げるための高い技術を持っています。また、漆喰に鏝で緻密な細工を施したレリーフのような立体感のある「鏝絵(こてえ)」という装飾もあり、左官の技を芸術の域にまで昇華させた希少な技法として珍重されています。

活躍の場を広げる左官職人の三代目

久住有生(くすみなおき)さんは、祖父の代からの左官職人。父・章(あきら)氏は「カリスマ左官」とも呼ばれる職人で、有生さん自身も幼少の頃から鏝を握って英才教育を受けたという。
高校時代に海外の建築現場を体験し、改めて左官の道を目指すようになった。高校卒業後、国内の様々な親方に師事し、23歳にして独立、会社「久住有生左官 を立ち上げた。
伝統技法で歴史的建造物の壁の修復・復元を手掛ける一方、商業施設・教育施設・個人邸宅の仕事や海外からの依頼も請け負うなど、活躍の場を広げている。 また、優れた左官の技術を伝えるためのワークショップや講演会も開催し、日本の「匠の技」を発信し続けている。

イメージ過去には複数回のTV出演もあり、左官の世界では名の知れた存在。
企画やデザイン段階から関わることも多いという。

現地の空気に身を置いて…「目に見えないものを感じたい」

グランドオープンを控えて改修工事が大詰めを迎えている、箱根の老舗ホテルのレストラン。時にたたずみ、時に座り込みながら、久住さんは想いを巡らせていた。

「テーマは、表面的なものよりもこの土地を訪れて感じるもの――木があって、川が流れてて、雨の後には霧が出て…そういう“箱根に来て、気持ちいいなと思えるもの”を表現しようと思いました」

芦ノ湖や富士山といった風景は、すでに多くの題材になっている。そういう“わかりやすいもの”ではなく、「ここに来ると落ち着ける、安らげる」といった目に見えないものを意匠にしたという。
「普段はあまり意識しませんけど、人間も自然の一部なんですよね。この地球で誕生したものから進化してきた、という点ではほかの植物や動物と同じなんじゃないかと」

熟考の末、久住さんは当初考えてきたプランを転換することにした。

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イメージ製作初日…久住さんは箱根の空気に触れながら、壁を前に構想を練っていった。
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イメージ技術的には完成されていても、挑戦し続ける気概は忘れてはいない。
「変わらないからこそ、その先に新しいものがある、と思っています」

箱根との縁を感じながら

久住さんは、ここと同じ系列のホテルで天皇皇后両陛下をお迎えするための部屋の壁を手掛けたことがあり、ホテル内の設備改修用の作業場をアトリエとして使ったこともあるなど、箱根には何かと縁がある。今回の仕事もそのつながりで依頼された。

「箱根には何度か来たことがあったので、最初に製作のお話をいただいた時からなんとなく頭の中にアイデアはあって、『風や気を感じられるもの』を考えていました。そこから白っぽい意匠で流れを感じるものを想定して、サンプルも出して、そのための材料も持ってきていたんですけど…」
しかし現場に来てみて、周辺の細かい造作ができつつあり、また初夏ならではの空気を感じたことで考えが変わったという。
「まわりの壁や天井が仕上がってきて…建物は新しいけど、昔ながらの古い装飾品がたくさんありますよね。これは個人的な推測ですけど、当時の職人さんも一つひとつを主張して見せるより、全体として調和させることを考えていたと思うんですよ。それぞれをよく見るとかなり手間がかかっていて、それがあちこちにあるのに、主張しすぎてない」

この部屋では、壁や天井の各所にかつて用いられていた装飾品が再度しつらえられている。年月を経て足されたもの、あるいは引かれたもの…。古い部材にしか醸し出せない独特の雰囲気は、見る者に解釈を押し付けない。
「たくさんの装飾があるのに落ち着ける。この部屋のそんな空気に合うものにしたいと思いました」

イメージ鉄筋コンクリート造の新築ながら、ステンドグラスやレリーフなどかつて使われていた部材を多く取り入れている内装。

「もともとそこにあったかのように」

「作品って、なるべく作為なくつくりたいと思っていても、そう思えば思うほど作為的になってしまう。あまり一人の人間の想いを込めすぎると、『その人がつくった作品』としてしか残らないので、『誰がつくったかわからない、新しいのか元からあったのかもわからないけれどこの部屋になじんでいて、それでいてちょっと気になる…』。そういう作品になればいいな、と」

今回のリニューアル工事で唯一新築されたのが、この建物。ホテルからは、「いずれは人間国宝に…」とも言われる久住さんの職人技で、新旧の建材が融合するこの部屋に新風を吹き込むことが期待されている。

色は白から土色の素材に変え、まわりの木製部材と調和させるようにした。また、波のひだの部分は、一度塗ってから鏝の元の部分で削って凹凸を緩やかにならし、全体の印象を和らげた。
「土は本来やわらかい素材なので、ただ塗っただけでもそういう印象になります。塗りつけた後に表面を削ることで、中の藁や砂が表面に出てきて更にやわらかく見えるようになります。例えば柱を眺めても、長年使われて細かい傷がたくさんついていると『やわらかくてきれいだな』と思うんです。それに近づけたいな、と」

イメージ部屋全体や周囲の木製部材との調和を考え、土色の壁に仕上げることにした。
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イメージ鏝の「元」と呼ばれる部分を使って、いったん塗りつけた土を削る。
削った部位は荒く見えるが、遠目にはやわらかい印象になる。
イメージ土、砂、苆(すさ)などを混ぜた壁材。
苆とは藁や麻の繊維で、これを混入させることでひび割れを防止している。
イメージ土にも様々な種類があり、色合いや風合いが異なる。

「古いものを大事にする姿勢」そこに自分の作品が加われれば本望

「初めてこのホテルに来た時から、古いものがとても大事に使われているな、つくった職人さんたちは職人冥利に尽きるだろうな、と思いました。僕ら職人の目から見ても、一つひとつの装飾品とか部材とか、『これはどうやってつくったんだろう』と感心します。今回のこの作品もそれなりに想いを込めたので、何十年か後に見た人が『どうやってつくったのかな』と思ってくれたり、また改築するときに『この鏝絵を何とかして残したいね』と思ってもらえたり…そういう風にして後世に伝えてもらえたら嬉しいですね」

作品を見てどう感じるか…その印象はそれぞれの人のものであり、作り手の想いは強要しない。ただ、訪れる人の記憶に残り、ホテルの歴史の一部となっていく。それが職人の本望だ。

イメージ「カスケード」の名のとおり「滝」のイメージも込めているが、「僕が意図したとおりに見えなくてもいい、と思っています」
イメージ完成した作品。「目に見えない風も、水面を渡ったり霧の流れで見えたりするようになることがある。そういうものを表現しました」(久住氏)