永田大貴さん
軌道工
その名の通り、「軌道」つまり鉄道の線路を敷設したり、日常的に保守・点検したりして電車が安全に運行できるようにする工事です。
たくさんの石を敷き詰めてその上に枕木とレールを設置する「バラスト軌道」、コンクリートの板を据え付けてその上にレールを設置する「スラブ軌道」など、敷設の方法もいろいろあります。
特に、多くの人を乗せて超高速で走行する新幹線は、メンテナンスが容易な「スラブ軌道」が多くの路線で採用されており、レールの幅や高さなど厳密な精度を守りながら建設が進められています。
永田大貴さんは、今年30歳の軌道工。地元・鹿児島の工業高等専門学校で土木科(現・都市環境デザイン工学科)を選択し、卒業後は福岡市にある三軌建設㈱に就職した。
高専で土木科に進もうと思ったのはなぜ?
「ウチの家系が代々、土木に携わっていて…。父も薩摩川内(さつませんだい)市役所で土木関係の仕事をしています。特に強く薦められたわけじゃないですけれど、気付いたら自分もこの方面の仕事をやろうという気持ちになっていました」
三軌建設は、現在は建築も手掛ける総合建設会社だが、もともとは鉄道線路の建設や保守を主業としており、鉄道工事に強みを持つ。
「…線路の『分岐器』ってわかりますか? あれをどうやって作っているのか、自分で組んでみたくてこの会社に入りました」
現在、永田さんが勤務しているのは、九州新幹線「西九州ルート」と呼ばれる路線の建設工事。「武雄温泉駅」(佐賀県)から「長崎駅」(長崎県)までの約67kmが5つの工区に分割され、そのうちの1工区で施工管理を担当している。
大量輸送・高速走行の新幹線の軌道は、在来線と比較しても劣化の進行が早く、従来の「バラスト軌道」だと保守・メンテナンスに多大な費用を要する。そのため、大部分の新幹線の線路建設では、旧国鉄時代から研究が進められていた「スラブ軌道」が採用されている。
「スラブ軌道は、簡単に言えば、工場で製作したコンクリートの板をたくさん並べて、その上にレールを敷設するというシンプルな構造です。コンクリートは圧縮に強くて、バラストのように車両の重みですり減ったりしないので、耐久性の点で優れています」
専用の工場でコンクリート板を大量生産しなければならず、工程も複雑なため、初期の建設費は割高になる。しかし供用後のメンテナンスにかかる費用は格段に低く抑えられるので、ランニングコストも含めれば圧倒的に有利なのが「スラブ軌道」の特長だ。
永田さんが新幹線の現場を担当するのは、今回が初めて。むろん、スラブ軌道での施工も未経験だった。
「この工事でしか使わないような、見たこともない重機がたくさんあります。僕も初めてですが、協力会社の方もほとんどの人がやったことのない作業なので、その点は気をつかいます」
多くの作業が機械化されており、一見システマチックに進んでいるようだが、新幹線の新設は数年に一度あるかないかという希少な工事。しかも、スラブ軌道の工法は、構造はシンプルだが工程が多く複雑なため、不慣れな作業も少なくないのが管理者として大変なところだ。
入社以来約10年間、軌道工事の現場に従事してきた永田さん。
今の現場は新設工事だが、これまでは既設の鉄道線路の保守・点検がほとんどだった。
メンテナンスの作業と、今回のような新規の工事、どちらが大変?
「…どちらも大変ですね。保守・点検の工事の場合は、集中して短時間でやらなければいけませんし、新規で敷設する場合は、工程の多さや仕上がりの基準が厳しいなど、また違った大変さがあります」
線路の保守・点検作業は、終電から翌日の始発までのわずかな時間帯で行わなければならないので、深夜作業が当たり前の世界。文字通り「陽の当たらない」エッセンシャルワーカーだ。
一方で、スラブ軌道のような施工機会の少ない工事にも、安全への配慮や、工程・進捗が読みづらいという難しさがある。
いずれにしても、多くの人を安全に輸送するために欠かせない作業であり、妥協は許されない。
「一番大変なのは、とにかく『レールが重い』ということです。200mを一気に吊る時や、機械で運んできて地面に下ろす瞬間はやっぱり緊張しますね」
もともと希望していた仕事ということもあり、これからも続けていきたいという想いは強い。
「朝から電車が通っているのを見ると、『あっ、ちゃんと無事に運行してるな』と思うことはありますね。大変なことも、世の中が便利になるためだと考えたら苦にならないです」
発注者の(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構では、新幹線の技術をインドなどに輸出する計画もあり、その場合は海外の現場に勤務することになるが…。
「うーん、今のところ、『どうしても海外に行ってみたい』とは思っていないです(笑)」
家に帰れば、6歳から0歳まで3人の子どもたちが待っている。少年のような永田さんの顔に、そんな家族を愛する「良きお父さん」の表情がうかがえた。