石川威重(いしかわ・たけしげ)さん
大工(文化財修復)
木材を加工して柱・梁を製作し、木造建築を建てる…それが大工の仕事。石川さんが勤める石川工務所では、時に新築も手掛けつつ、伝統的な木造建築の調査・補修・保存を主業としています。補修作業では、いったん解体した古い木材の傷み具合を調べ、必要に応じて旧材と新材を組み合わせるなど、特殊な技が要求されます。日本には数百年前に建立された寺社仏閣が各地に残っていますが、こうした文化財の佇まいは、彼らの貴重な技術によって維持されているのです。
石川威重(いしかわ・たけしげ)さんは、1986年山梨県生まれの34歳。県内にある伝匠舎 ㈱石川工務所に勤める大工だ。
「父が社長で、僕は次男坊です。子どもの頃から家に帰ったら大工さんがたくさんいるような環境でしたね」
まさに木が身近にあり、木の匂いのなかで育った石川さんは、日本建築の専門学校を卒業後、父の紹介でいったんは大阪の会社に就職した。
「その会社も主に伝統建築をやっている会社で、そこで6年ほどいろいろな勉強をさせてもらいました。それで5年位前にこちら(山梨)に戻ってきました」
文化財などの伝統建築を修復する場合は、もともとの建材である柱・梁をできるだけ再利用する。しかし、損傷や腐敗が著しい場合はその部分を補修し、また、時には建材ごと新しいものに交換しなければならない。その「材料」に対する判断とそれに基づく加工がこの仕事の特徴だ。
「予算との兼ね合いもあるので、ただ傷んでいるから新しいものに変えればいいというわけでもないのです。当然、文化財なので人の目に触れる機会も多いから、補修した結果それがどう見えるか、ということも想像しながらの作業になりますね」
建材を補修する際に必要な技術とは?
「大きく分けて『矧木(はぎき)』『埋木(うめき)』『継木(つぎき)』というのがあります。『矧木』は比較的広い範囲に新しい材料を貼り合わせる、『埋木』は穴があいた部分を木で埋めます。『継木』は言葉のままで、傷んだ部分を切ってその分を継ぎ足します。古い部材をチェックして、どの方法で直すかを考えるのが僕らの仕事ですね」
これまで印象に残っている現場は?
「大阪で働いていた頃に、広島県の厳島神社の修復に行ったことです。厳島神社は社殿の回廊の束(支柱)が、潮が満ちるたびに海に浸かってしまうので、定期的にメンテナンスをしなければならなくて、その時には70~80本くらいの支柱を交換したと思います。干潮で潮が引いたのを見計らって1本ずつ取り換えて、潮が満ちてきたら『そろそろかな?』って焦りながら作業していた記憶がありますね。潮が引いている時間も日によって違うので、長く作業をできる日もあればすぐに終わってしまう日もあったり。大変でしたが、面白かったです」
東京都千代田区、日本橋川に架かる「常磐橋(ときわばし)」。都内では最古の石造アーチ橋の1つで、国指定の史跡ともなっているが、2011年の東日本大震災で落橋の危険が生じたため、いったん解体して、組み直す工事が行われていた(2021年5月より通行可能)。
もちろん大部分は石材で組まれているが、橋脚の基礎部分は松の杭と板で構築されており、この修復作業に石川さんが従事した。
「普段は建築の仕事しかしていないので、橋の基礎というのはほぼ未知の世界。しかも石でできた橋の基礎だから、かなりの荷重がかかります。建築の基礎とはまた違う難しさがありましたね」
古い材料に触れていると、昔の大工の技を意識することもあるのだろうか?
「それはありますね。特に常磐橋の時に感じたのは、『これ、当時はどうやって工事したんだろう?』ということ。橋脚は川の真ん中なので、水面より10mも低い部分に杭が打ってあるんですよ。今は、工事期間だけ矢板で囲って水を締め切った状態で作業をしますが、100年前はいったいどんな方法で杭を打ったり板を渡したりしたのか。謎ですよね(笑)」
当面の目標を教えてください。
「今は会社で修復の方針を決めて、僕たち大工がそれに従って施工する、というパターンが多いのですが、いつか全部を仕切ってやってみたいですね。一から十まで自分で考えて、仲間を率いて…という経験がまだないので」