令和の健人

新時代「令和」を担う技能者。
「令和の建人」は建設業のなかで重要な技能を誇り、その修練に努める次世代の人々を追う企画です。
多くの技能の中には受け継がれてきた人の想いが詰まっています。それらを掘り下げ、日々の仕事を記録すること。これらがきっと建設業にひとすじの光となり、新時代への道筋を照らすと信じて。
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第19回

「材」を知り、「財」を生かす職人技

石川威重(いしかわ・たけしげ)さん

大工(文化財修復)
木材を加工して柱・梁を製作し、木造建築を建てる…それが大工の仕事。石川さんが勤める石川工務所では、時に新築も手掛けつつ、伝統的な木造建築の調査・補修・保存を主業としています。補修作業では、いったん解体した古い木材の傷み具合を調べ、必要に応じて旧材と新材を組み合わせるなど、特殊な技が要求されます。日本には数百年前に建立された寺社仏閣が各地に残っていますが、こうした文化財の佇まいは、彼らの貴重な技術によって維持されているのです。

日本建築の専門学校を卒業、その後大阪へ

石川威重(いしかわ・たけしげ)さんは、1986年山梨県生まれの34歳。県内にある伝匠舎 ㈱石川工務所に勤める大工だ。
「父が社長で、僕は次男坊です。子どもの頃から家に帰ったら大工さんがたくさんいるような環境でしたね」

まさに木が身近にあり、木の匂いのなかで育った石川さんは、日本建築の専門学校を卒業後、父の紹介でいったんは大阪の会社に就職した。
「その会社も主に伝統建築をやっている会社で、そこで6年ほどいろいろな勉強をさせてもらいました。それで5年位前にこちら(山梨)に戻ってきました」

イメージ兄・和重さん(写真右)と。
和重さんも大阪にある別の建設業の会社で研さんを積み、威重さんとほぼ同じ時期に会社へ戻ってきた。
イメージ「本当は美術の方面にもちょっと興味があったんですけど、そこまでの才能がなかったので(笑)」
イメージJR東日本中央本線の塩山(えんざん)駅前にある重要文化財「旧高野家住宅(甘草屋敷)〔きゅうたかのけじゅうたく(かんぞうやしき)〕」。
約10年前の施工なので石川さん自身は関わっていないが、石川工務所で保存修理工事を行った。

旧材と新材、選択肢があるなかでの判断

文化財などの伝統建築を修復する場合は、もともとの建材である柱・梁をできるだけ再利用する。しかし、損傷や腐敗が著しい場合はその部分を補修し、また、時には建材ごと新しいものに交換しなければならない。その「材料」に対する判断とそれに基づく加工がこの仕事の特徴だ。
「予算との兼ね合いもあるので、ただ傷んでいるから新しいものに変えればいいというわけでもないのです。当然、文化財なので人の目に触れる機会も多いから、補修した結果それがどう見えるか、ということも想像しながらの作業になりますね」

建材を補修する際に必要な技術とは?
「大きく分けて『矧木(はぎき)』『埋木(うめき)』『継木(つぎき)』というのがあります。『矧木』は比較的広い範囲に新しい材料を貼り合わせる、『埋木』は穴があいた部分を木で埋めます。『継木』は言葉のままで、傷んだ部分を切ってその分を継ぎ足します。古い部材をチェックして、どの方法で直すかを考えるのが僕らの仕事ですね」

イメージ同社の木工所には、現在石川さんが修復を担当している寺院の柱や梁が並ぶ。
イメージ部分的に補修した梁。新しい木の部分は「矧木」という技術で補修した箇所だ。
イメージ寺院の軒下などにある「組物」の補修。これも旧材と新材を組み合わせている。

厳島神社の修復

これまで印象に残っている現場は?
「大阪で働いていた頃に、広島県の厳島神社の修復に行ったことです。厳島神社は社殿の回廊の束(支柱)が、潮が満ちるたびに海に浸かってしまうので、定期的にメンテナンスをしなければならなくて、その時には70~80本くらいの支柱を交換したと思います。干潮で潮が引いたのを見計らって1本ずつ取り換えて、潮が満ちてきたら『そろそろかな?』って焦りながら作業していた記憶がありますね。潮が引いている時間も日によって違うので、長く作業をできる日もあればすぐに終わってしまう日もあったり。大変でしたが、面白かったです」

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イメージ広島県廿日市市の宮島にある厳島神社。潮が満ちると、シンボルの大鳥居だけでなく、社殿も海水に浸かってしまう。
現在の場所に社殿が建てられてから1400年以上が経過したと伝わるこの神社は、定期的に修復工事が行われ、今もその荘厳な姿を保つ。
(写真は潮が引いている厳島神社の社殿。いずれも2008年撮影。石川さんの工事とは関係ありません。)

常磐橋の修復工事に参加

東京都千代田区、日本橋川に架かる「常磐橋(ときわばし)」。都内では最古の石造アーチ橋の1つで、国指定の史跡ともなっているが、2011年の東日本大震災で落橋の危険が生じたため、いったん解体して、組み直す工事が行われていた(2021年5月より通行可能)。

もちろん大部分は石材で組まれているが、橋脚の基礎部分は松の杭と板で構築されており、この修復作業に石川さんが従事した。

「普段は建築の仕事しかしていないので、橋の基礎というのはほぼ未知の世界。しかも石でできた橋の基礎だから、かなりの荷重がかかります。建築の基礎とはまた違う難しさがありましたね」

イメージ2016年、修復工事中の常磐橋。
イメージ橋脚基礎部分にあった「十露盤木(そろばんぎ)」と呼ばれる部材。
この下に松の杭があり、橋の荷重を各杭に分散させる役割を果たす。
イメージ十露盤木の腐食した部分を削り取る石川さん。ここに「矧木」で新材を貼り合わせ、補強した。
イメージ2021年に修復が完了し、通行可能となった常磐橋。
残念ながら、石川さんが苦心した橋脚の基礎部分は見ることができない。

建材を通じて過去の技術と向き合う

古い材料に触れていると、昔の大工の技を意識することもあるのだろうか?
「それはありますね。特に常磐橋の時に感じたのは、『これ、当時はどうやって工事したんだろう?』ということ。橋脚は川の真ん中なので、水面より10mも低い部分に杭が打ってあるんですよ。今は、工事期間だけ矢板で囲って水を締め切った状態で作業をしますが、100年前はいったいどんな方法で杭を打ったり板を渡したりしたのか。謎ですよね(笑)」

当面の目標を教えてください。
「今は会社で修復の方針を決めて、僕たち大工がそれに従って施工する、というパターンが多いのですが、いつか全部を仕切ってやってみたいですね。一から十まで自分で考えて、仲間を率いて…という経験がまだないので」

イメージ和重さんとの打ち合わせ。扱うのが文化財なだけに、施工法も慎重に決めなければならない。
イメージ会社の近くにある向嶽寺(こうがくじ)の門。
道路の拡幅に伴ってセットバックする必要があり、一度すべて解体して現在の位置に移築した(石川さんが解体・補修・移築を担当)。
柱の一部に「埋木」で補修した痕跡がある。