けんせつ小町

技能者STORY

”つくる”に魅せられた女性たちの物語

日建連では、専門工事を行う協力会社の
けんせつ小町も応援しています。
今回、女性技能者がどのように入職し、現在の仕事と向き合い、
これからのキャリアを描いているのかを取材し、
「“つくる”に魅せられた女性たちの物語」として
皆様にお届けします。
未来のけんせつ小町への力強いメッセージが
たくさん詰まったストーリーとなっているので、
多くの皆さんに読んでいただきたいと思います。

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第10回

コンクリートも経営も、母娘の絆で「打ち込む」!

江尻和子さん・淳子さん

株式会社袖ヶ浦圧送

コンクリート圧送
 コンクリート圧送は、ミキサー車で現場に運び込まれた生コンクリートを、油圧ポンプを使って施工箇所まで送り届ける仕事です。また「筒先作業」といって、打設(※)の際にホースの先端を操作して、コンクリートを的確な位置に流し込む役目も担っています(※コンクリートを流し込む作業を「打設」と呼びます)。
コンクリートは一定時間がたつと硬化して品質が落ちるため作業のスピードが問われる上に、いったん打設が始まればなかなか中断することができません。また、中にコンクリートが詰まったホースは非常に重く、その操作には体力と経験を要します。
今回登場するけんせつ小町は、母と娘の親子二代でコンクリート圧送会社を経営し、現場での打設も行う技能者です。

何の知識もなかったOLが建設業界に転身

株式会社袖ヶ浦圧送の江尻和子社長に人生の転機が訪れたのは、35歳の時。
建設業とはまったく縁のない事務職に就いていたが、コンクリート圧送会社の社員だった実兄から相談を受けた。廃業が決まったその会社の事業を継がないか、という話だった。
「本当に何も知らなかったから、迷いもなく決めました。業界の大変さを知ってたら迷ったでしょうが…『知らない』って、怖いですね(笑)」

事業を引き継いだといっても、手元にあるのはポンプ車1台のみ、当初は会社ではなく個人事業主として出身地である袖ヶ浦で起業。社長と兄、二人きりでの船出だった。
「最初は会社じゃなかったので、大手さんとは取引できなかったんです。それから一人二人三人と社員を増やしていって、組織も会社になって…」

建築・土木に関わらずさまざまな現場にたずさわり、会社も徐々に成長していった。
「今は4台くらいに減らしちゃいましたけど、アクアラインを作っていたころは最大でポンプ車10台がフル稼働してましたね」

社員5名を抱える社長となった今も、自ら大型のポンプ車を運転して現場に赴き、筒先操作もこなす。
「もう都内の大規模な現場とかは無理ですけど…(力仕事は)大変だけど、慣れれば何とかなりますよ」

イメージ兄の勧めでOLから圧送業者に転身した江尻和子社長。

当初は興味がなかった建設の仕事

娘の淳子さんは、和子社長が経営者となったころはまだ中学生。母親の苦労している様子は伝わっていたが、建設業に関心を持つまでには至らなかった。
「何の仕事かも知らなかったんで、特に興味があったというわけでもなくて(笑)、でも高校を出てから事務職で手伝い始めてました」

はじめは事務所でポンプ車のスケジュールを管理する仕事をしていたが、現場に出るスタッフが手薄になり、時々現場に駆り出されるようになっていった。
「10年前くらいからですかね、最初は何が何だかわからない状態でしたけど、母が大変そうなのは見てたんで、できることがあれば、と。母親の年齢のことを考えたら、心配もありましたし…」

建設業界に入ってよかった?
「他の仕事を知らないし、この歳までずっとここで続けてきたんで、別の職に就く自分は想像できないですね」
 淳子さんは9年前にコンクリート圧送の1級技能検定(国家試験)に合格。生コンの外見からその状態や打設のしやすさを見極め、ポンプ車から打設箇所までの圧送計画を立てることもできる、今や袖ヶ浦圧送に欠かせない打設技能士だ。

イメージ娘の淳子さん(写真右)は、当初は事務職だったが、今は母に代わる会社の主戦力になっている。

打設の仕事が大好きな兄の存在

実は、和子社長には息子がいる(淳子さんの兄にあたる)。同じコンクリート圧送の仕事をしており、この袖ヶ浦圧送で働いていたこともあるが、より大きな現場での職を求めて別の会社に転職。六本木ヒルズや東京スカイツリーなど大規模現場のコンクリートを打ち上げた実績を持つ。
「息子はこの打設の仕事が大好きだから、このあたりの現場じゃ物足りないみたいで(笑)。話し始めたら朝までポンプのことをしゃべってるくらい」

和子社長は、都内の現場で最新の打設技術を身につけている息子から学ぶ点も多いという。
「以前は打設が終わった後、配管の中に残った生コンを手作業でかき出してたんですが、今はエアコンプレッサーで抜く技術があって、そういうのは娘が都心の現場に行ったり、息子から聞いたりして覚えたんですよ。やっぱりその仕事が好きだったり、興味があったりすれば、自然と腕も上がっていきますよね」

イメージ打設作業に不可欠な特殊車両「ポンプ車」。油圧の力で、数百m離れた打設箇所まで生コンを圧送する。

打設作業は「重さ」との戦い

コンクリート打設でもっとも苦労するところは? 「広い面積にたくさん打つよりも、限られた箇所に少しだけ打ち込んで、また別の場所に少し…みたいな方が苦労しますね。そのたびに配管を繋ぎ変えたり、そうこうするうちに生コンが固まってきたりして。夏場なんかは特にコンクリートが硬化しやすいし、閉塞(パイプの中のコンクリートが詰まって圧送できなくなること)を起こしたら大変なことになるので」と和子社長。
一方の淳子さんは、「何が大変って、全部です(笑)。ずっとやってるベテランの方は『この部分はこうすれば楽に打てる』とか言うんですけど、私に言わせれば楽なところなんてないですね。ゴムのホースだけで50kg近くあって、中のコンクリートも合わせたら100kg以上。『重い』とか以前に、びくともしなかったですから。男性があれをふつうに担いで操作してるのを見て、『ウソ?』って感じで最初は信じられませんでした」

筒先操作の仕事を始めたころは、家に帰って食事をしようにも箸を持つ手が上がらないほど疲労困ぱいだったという淳子さん。
コンクリート打設の最前線にいる技能者としての責任が増した今では、同じ現場に続けて行けないことのもどかしさも感じている。
「工程とかシフトの関係で、同じ現場だけど前回とは違う人が圧送を担当することもあります。『この前の続きで打設して』って言われるんだけど、その前回来たのが私じゃなければもう一度現場見せてもらわなきゃならなくて…タイムロスになっちゃいますよね。ずっと同じ人が行ければいいのにって思います」

「自分が担当した現場の作業は、他人任せにせず最後までやり遂げたい」…どんな技能者でも抱く仕事への思い入れが、淳子さんにもあるのだろう。

イメージコンクリートを送るホースを打設箇所に正確に構える。
重量のある生コンが勢いよく吐き出されるが、無関係な箇所に生コンをこぼしてもいけないし、打設量を見誤ってあふれさせるのもNG。
筒先を操作する技術だけでなく、経験・勘も求められる。

長丁場になりがちな打設作業、女性ならではの苦労も…

生コンが硬化して品質が落ちたり、配管を詰まらせたりする事態を回避するため、いったん始まった打設作業は休憩時間もそこそこに長時間続けられることが多い。特に筒先操作担当者は打設作業のキーマンであり、不在だと作業がストップしてしまうため、トイレにも行きづらい。女性には、過酷な職種といえる。
和子社長は「やっぱりポンプが詰まっちゃう方がこわいから…水分の取り過ぎに注意してます(笑)」と、その後の作業にも大きく影響する「閉塞」防止が最優先。
淳子さんの場合はいわゆる“食いだめ”も珍しくないようで、「お昼休みはちゃんとありますが、配管の段取り替えなんかがあると昼食の時間が少ない時もあるんで。だから私、打設の日の朝は、すごい勢いで食べます。朝から焼き肉とか(笑)。多少昼食が遅れても、その日一日バテずに持たせられるようにしてますね」

いったん現場に出たからには、「女性だから」と特別扱いはされたくない。厳しい条件も笑い飛ばしてしまう和子社長、淳子さんの言葉からは、「男性作業員と同じレベルで勝負してきた」という自負が感じ取れた。

イメージ打設前、他職との打ち合わせ。
コンクリート打設には多くの協力会社がかかわるため、うまく連携することがカギとなる。

終わったあと、成果を実感できる仕事

20数年前、和子社長が知識も経験もないまま参入した当時の建設業界は、女性が働く職場としては整備がかなり遅れていたが、それはこの10年ほどの間に大きく改善された。二人はその変化を身をもって体験してきた女性技能者だ。
淳子さんがふり返る。「私が行っていた現場で、打設箇所の近くは男性用トイレのみ、女性用は歩いて30分以上かかる事務所にしかないっていうところがありました。元請けの方に頼んだら『配慮が足りなくてすみませんでした』って謝られて、すぐあちこちに女性用トイレを設置してもらって、鍵も渡されて『自由に使ってください』と。今思えばふつうの対応ですけど、すごくうれしかった記憶があります」

男性でも大変な仕事を、女性にとって恵まれているとはいえない環境下で懸命にこなしてきた和子社長は、それでも前向きだ。
「『女の人だから、ていねいにやってくれて助かる』って言われることもあるし、この仕事は終わった後に形として残るのがいいですよね。『ああ、これ私が(コンクリートを)打ったんだ』って実感できます」

今ではそれぞれがメインの打設技能士として別々の現場に出るケースがほとんどだが、母娘二人三脚で現場のモノづくりを支えていく。

イメージ「親子でこんな仕事してる人はなかなかいないんで、私が現場に出ると『今日、お母さんどこ行ってるの?』なんてよく聞かれます(笑)」(淳子さん)
イメージ同じ千葉県に本拠がある生コン会社・(株)ヤマセ建材の髙橋清美さん(写真左)と。
「江尻社長にも淳子さんにも、いつも現場で助けてもらってます」(高橋さん)。

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