19世紀の半ば、幕末を迎えた江戸の人口は110万人を超え、日本全国では3200万人と推計されている。その100年前に世界最大の100万都市になった江戸は、東京に改名した後も数々の変貌を遂げ、関東大震災や戦災を被った後も見事に復興し、今も世界最大の巨大都市の座に君臨している。
首都圏と呼ばれる東京都市圏には、圏域の取り方にもよるが3400万から3700万の、幕末日本の総人口を上回る数の人々が暮らしている。今の東京には昼夜危険に充ちたスラム街もなければ、廃墟と化した町もない。建物や社会基盤は日々正常に機能し、名目GDPでイタリアやロシアに比肩する規模の経済活動を支えている。都心は人工の建造物でほぼ埋め尽くされ、緑豊かな都とは言い難い面もあり、高地価や混雑を解消するため衛星都市や首都機能移転が構想されたが、横綱が土俵から降りる気配はない。
昭和の時代、日本各地の都市は東京に吸引される人の流れを止めるべく、皮肉にも東京を範例と見て基礎体力の増強を目指した改造を試み、ミニ東京化と揶揄されつつも人口増と機能主義的近代化を発展、成長と信じた時代の営為に勤しんだ。半世紀後の今、東京と地方の関係を問い直す動きが芽生えている。この度の大震災で被災した都市や村々も其々の出自を踏まえつつ蘇生を果たすと信じよう。
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