開拓使札幌本庁本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎の碑
碑に描かれた史跡見取図
赤れんがの旧北海道庁舎
開拓使札幌本庁本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎
明治6年10月29日 開拓使札幌本庁本庁舎完成
明治21年12月14日 旧北海道庁本庁舎完成
昭和42年12月15日 指定
昭和43年9月2日 建設
文部省 北海道
史跡
開拓使札幌本庁本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎
昭和四二年一二月一五日指定
開拓使は、いわゆる蝦夷地経営のため、明治二年七月(一八六九年)、政府の機関として民部省内におかれ、明治五年九月(一八七二年)には、現在の北海道(明治二年八月一五日に蝦夷地を北海道と改称)全体を治めることとなった。
開拓使はいろいろ移り変わったが、明治五年九月(一八七二年)、開拓使札幌本庁ができ、現在の西四丁目通りから西八丁目通りまでと北一条通りから国鉄凾館本線(北六条通り)までを敷地とし、明治六年(一八七三年)一〇月二九日、その本庁舎ができた。開拓使札幌本庁本庁舎は、木造二階建、一階平面約五五〇平方メ―トルの建物で、屋上八角形展望層のうえには北辰旗がひるがえっていたが、明治一二年(一八七九年)一月一七日の火災で焼けた。
開拓使は、明治一五年(一八八二年)二月八日に廃止され、三県一局時代をへて、明治一九年(一八八六年)一月二六日、北海道庁が設けられた。
北海道庁本庁舎は、明治二一年(一八八八年)一二月一四日にできたが、この建物は、れんが造り半地下一階、地上二階建で、屋上には直径約七、二七メートルの八角塔を設け、一階平面約一〇五三平方メートル、延べ約四八九二平方メートルだったが、明治四二年(一九〇九年)一月一一日の火災のため内部と屋根が焼失した。
しかし、外壁はそのまま残り、明治四四年(一九一一年)一一月一五日、もとの姿に近い形で修復工事を終え、「赤れんが」の名で親しまれてきたが、昭和四三年(一九六八年)、北海道百年を記念してもとの姿に復元された。
開拓使札幌本庁本庁舎の建物跡地と旧北海道庁本庁舎の建物のあるこの場所は、道民とともに、北海道風雪百年の歴史をになってきたところである。
われわれは、この歴史の遺産をふまえ、北海道の明かるい未来を築こう。
和四三年九月二日
文部省
北海道
重要文化財北海道庁旧本庁舎
昭和四四年三月一二日指定
この庁舎の建築様式は、アメリカ風ネオ・バロック様式といわれ、設計は、当時の北海道庁土木課が行なったものである。
明治一九年(一八八六年)七月一五日新築の工をおこし、同二一年(一八八八年)一二月一四日完成したが、明治四二年(一九〇九年)一月一一日の火災による大改修その他数度の修補により、原形をやや損じていた。
昭和四三年(一九六八年)北海道百年を記念して、この庁舎を保存することとなり、その復元改修工事が施された。復元に当っては、中央八角塔をはじめ、屋根窓、換気塔、煙突、および両側玄関などの外形を復し、かつ、正面玄関上の屋根寄棟をマンサード屋根に、亜鉛鉄板葺をスレート葺に、屋根各棟上に金属製棟飾りを復した。また、建物の内部には、防災および構造補強のため一部の改造を施した。
この建物は、簡素ながら、その意匠もすぐれており、明治時代における赤れんがの官庁建築として、その価値はきわめて高く、かつ、北海道開拓の歴史的意義をもあわせ伝えるものとして貴重な遺構である。
昭和四四年七月一五日
文部省
北海道
(史跡見取図あり)