七里自然公園
加田屋川沿いの砂利道を行く
見沼代用水東縁
井澤為永の銅像
万年寺
井澤為永の頌徳碑
【表】
此石碑修福祭祀之微意者
天下泰平而祈萬民於快樂
元文三戌午年
崇岳院殿隆譽賢巌英翁居士井澤氏
三月朔日
武運長久而保栄耀於扶桑
家門繁昌而及武勇於異朝
【裏】
石碑造立之趣意者享保十三申年見沼
御新田開發御奉行之慕恩光處幸武陽
菖蒲縣柴山里人井澤氏之建石碑依信
仰徳郷中無水難而豊饒之由其仰霊験
移其碑於當山者也
于時文化十四丁丑三月吉辰
【台石正面】
見沼代用水の開削者
井澤弥惣兵衛為永翁像
渡辺一郎書
【台石背面】
碑 文
井澤弥惣兵衛為永翁の功績
井澤弥惣兵衛為永翁は承応三年に現在の和
歌山県海南市に生まれ、若い頃から紀州藩の
土木技術者として亀池の築造をはじめ数多く
の土木事業を行いました。
享保七年八代将軍吉宗に江戸に召し出され
た為永は、享保十二年に得意な紀州流の土木
技術を駆使して見沼を干拓し、見沼に代わる
水源を利根川に求め、長さ六十粁余りの見沼
代用水を半年余りで完成させ、十二百町歩の
新田を開発しました。これが現在の見沼田ん
ぼです。そのほか用水沿岸のため池も新田開
発され、かんがい面積は一万四千町歩を越え
ました。
更に日本最古の閘門式運河の見沼通船堀を
造り、江戸と見沼代用水を結ぶ舟運を発展さ
せました。これらの功績により享保十六年に
幕府の勘定吟味役となりました。
この偉大な功績を永く後世に伝えるため、
井澤翁の生誕三百五十年を記念して賛同を頂
いた皆様と見沼代用水土地改良区でここに銅
像を建立するものです。
平成十七年十月吉日
井澤弥惣兵衛為永翁銅像建立委員会