松崎渋右衛門 辞世の歌碑
松坡長谷川翁功徳之碑
堰堤から神野神社へと至る階段
神野神社の本殿
松崎神社 神野神社本殿後方にある
堰堤下の満濃池樋門
【碑文表】
君の為
國のためには
惜し
からじ
仇に散りなん
命なりせば
松崎澁右衛門辞世の歌碑
松崎澁右衛門佐敏は髙松藩尊王
派の藩士で榎井村勤王の志士日柳
燕石とも交流があり幕末には入獄
の憂き目にあっている明治維新に
より出獄し藩の家老職となり農政
長をつとめた
ときに満濃池は安政元年に決壊
したまま放置され 復旧のめどが
立たなかった 彼は榎井村の勤王
家長谷川佐太郎の要請を受け丸亀
多度津藩や倉敷県の間を本奔して
藩論をまとめ明治二年着工にこぎ
つけた このとき松崎は自ら満濃
池の現地を視察し従来の木造底樋
管に代えて岩山を石穴で貫く画期
的な工法を実現させている満濃池
の用水は現在もこのトンネルを通
って配水されている
彼は満濃池の完成を見ないまま
明治二年九月八日髙松城内桜の馬
場で旧佐幕派集団に謀殺され四十
三歳の生涯を終えたがかねて覚悟
の辞世を常に用意していたという
君の為国の為には惜しからじ
仇に散りなん命なりせば
註 この歌碑は松崎澁右衛門の末
孫松崎正照氏の自宅髙松市片原
町に建立されていたが片原町再
開発事業により移転を余儀なく
され満濃池土地改良区が寄贈を
受けたものである
【碑文裏】
平成十二年六月十三日
撰文 平井忠志
揮毫 西村扇山
満濃池土地改良区理事長 久元 豊 建之
副理事長 山本 孝
理事 石崎忠幸
〃 宮川忠幸
〃 冨田 智
〃 國重 進
〃 宮崎知純
〃 鳥川敏勝
〃 奥田良介
〃 増田榮作
〃 川合恒雄
〃 北堀俊一
〃 田川憲夫
〃 丹田 博
〃 西川静雄
〃 田村重光
総括監事 為廣英孝
監事 大坪 恵
〃 小瀧 曻
〃 堀家義治
平成十一年十月七日理事会にて議決
【台石】
松坡長谷川翁功徳之碑
長谷川佐太郎は松坡と号し幕末
から明治にかけて満濃池の再築に
家財を傾けて尽力した人である
榎井村の豪農の家に生まれ勤王
の志士日柳燕石と交流し 幕吏に
追われた高杉晋作を自宅にかくま
うなど幕末には勤王運動にも挺身
している
一方安政元年に決壊した満濃池
は その水掛かりが高松 丸亀
多度津の三藩にまたがり一部に天
領も含まれていた このため復旧
には各藩の合意を必要としたが意
見の一致を見ないまま十六年のあ
いだ放置されていた この間長谷
川佐太郎は満濃池の復旧を訴えて
倉敷代官所や各藩の間を奔走す
るが目的を果たせないままやがて
幕府は崩壊する
彼は好機到来とばかり勤王の同
志を頼って上京し維新政府に百姓
たちの苦難を切々と訴え早期復旧
の嘆願書を提出した
この陳情が功を奏し高松藩の執
政松崎澁右衛門の強力な支援のも
とに明治二年着工にこぎつけ同三
年に竣工したこの間彼は一万二千
両にも及ぶ私財を投入し晩年には
家屋敷も失い清貧に甘んじている
この碑は彼の功績を称え 明治
の元勲山形有朋が題字 品川弥次
郎が撰文したものである 扇山書
【碑文 表】
松坡長谷川翁功徳之碑
從一位勲一等侯爵山縣有朋篆額
志於道據於徳依於仁遊於藝蓋長谷川翁之謂也翁名信之字忠卿號松坡稱佐太郎讃岐
那珂郡榎井村豪農考諱和信妣爲光氏翁爲人温良有義氣好救人急夙憂王室式微與日
柳燕石美馬君田等協力廣交天下士松本謙三郎藤本津之助久阪義助等先後來議事文
久三年有大和之擧翁與燕石整軍資將赴援間事敗不果桂小五郎來多度津翁延之姻家
密議徹夜髙杉晋作韜迹來投翁與燕石君田等庇護具至既而事覺逮捕甚急使晋作揮去
燕石君田下獄翁幸得免竊扶助兩家族及王政中興翁至京都知友多列顕職勸翁仕官翁
固辭而歸素志専任修滿濃池池爲國中第一巨浸自古施木閘毎卅歳改造爲例嘉永中變
例疊雑石作堰浸漏生竇水勢蕩蕩決裂?防漂没盧舎人畜亘數十村田疇率付荒蕪爾來
十四年旱?荐臻萬民不聊生翁慨然計畫修治?上書切請明治三年正月得免起工髙松
藩松﨑佐敏倉敷縣大参事島田泰夫等克輔翁志五閲月告竣單工十四萬四千九百九十
六人荒蕪忽化良田黎民勵農五稼均登藩?賞翁功許稱姓帯刀且賜米若干苞翁撰爲區
長後爲滿濃池神野神社神官廿七年叙正七位翁多年盡瘁國事頗傾儲蓄且修滿濃池蕩
盡家産遂爲無一物亦??焉洋洋焉縱心所之樂書畫好俳句不敢以得喪介意尚聞義則
趨聞仁則起可謂偉矣廿八年滿濃池水利組合贈有功紀念章於翁且爲翁開賀宴會者三
百五十餘人寄詩歌連俳頌翁徳者亦無算廿九年十一月朝廷賞翁功賜藍綬褒章及金五
拾圓云郷人咸懐仁慕義胥謀建碑請文予乃序繋以辭
大寶始築萬農池 弘仁奉勅空海治 寛永補修雖稍整 嘉永疊石累卵危
安政蟻穴千丈破 慶應旱潦萬家飢 松坡老叟振袂起 豈爲國土惜家貲
覃懐底績農抃野 承前善後策無遺 曽悼亡友營祠宇 趨義?肯畏嫌疑
去富居貧率天性 蓋忠報國心所期 不俟臚傳遭顕達 由來天爵大宗師
明治廿九年 從二位勲二等子爵品川彌二郎撰
衣笠豪谷書
【碑文 裏】
昭和六年十月吉祥日建之
滿濃池普通水利組合管理者
地方事務官齋藤助昇
建設委員 田中 正義
仝 谷 政太郎
仝 塚田 忠光
仝 三木清一郎
仝 三原 純
香川県木田郡牟礼村久通
和泉喜代次刻