ACe建設業界
2011年6月号 【ACe建設業界】
ACe建設業界
特集 人づくり
 第1回 「匠」
被災者の声が
 将来像をつくる
天地大徳
遠近眼鏡
世界で活躍する
 日本の建設企業
建設の碑
現場発見
BCS賞受賞作品探訪記
フォトエッセイ
目次
ACe2011年6月号>遠近眼鏡
 

[遠近眼鏡]

淘汰か雇用か

 
 
 
唐口徹(Karakuchi Toru)  

  このところ、明けても暮れても東日本大震災の情報一色に染まり、震災の「非日常」が「日常」に転化し、本来の「日常」が関心の外になってしまうことがよくある。「非日常」の衝撃が社会全体を突き動かすのは、当然としても、「日常」の課題が後方に押しやられていいのだろうか、と思うことがあるのだ。

  建設産業においても同様で、東日本の被災、復旧、復興をどうするのか、それは最大の産業的課題であることは事実だろうが、長い時間をかけて向き合っていかなければならないとすれば、もっと平常的な課題も見据え、「日常」への視点と問題意識を回復していかなければならない。東日本は復興に全力をあげるとして、では西日本の減災や台風や集中豪雨への対応はどうあるべきか。東日本は特区など規制緩和や金融緩和が進むが、西日本の経済はこれからどうなるのか。その変化の中で建設業界はどうなっていくのか。

  国の予算や地方交付金は東日本に集中するだろうが、では西日本の社会資本整備や民間設備投資やエネルギー対策はどうなるのか。そうした視点から日本全体を考えると、西日本の「日常」にも大きな復興的課題がいくつも求められているようにも思える。

  そんなことをつらつら考えている中で、中断・延期されていた国土交通省の建設産業戦略会議が5月17日に再開され、二カ月ぶりに議論が始まったことは歓迎すべきことである。東日本大震災の惨事の中で、戦略会議どころではないという状況に陥ったことは当然としても、早い段階で業行政の「日常」が蘇ったことを評価したい。もちろん、海外展開と新事業展開を柱にした全国ゼネコンと地域ゼネコンと専門工事業とに分化した「再生と発展の方策」が、東日本大震災にどう取り組むべきかという新たなテーマに直面しているから、再開を急いだという事情もあるだろう。

  再開された5月17日の会議の中で、意外にも論議が集中したのは、「保険未加入企業」という問題である。この施策は、戦略会議発足時から保険未加入企業の排除として検討テーマの大きな柱ではあった。それは、ある時は、一人親方という請負主体が増加し、それが身軽ゆえのコストパフォーマンスを発揮し、競争環境を歪めているという問題意識から提起されたようにも思う。一人親方は、保険に未加入でそれだけ安く仕事を受注するのだという見方であった。一方で、若い労働力の入職のためには、年収や処遇を改善しなければならないし、その最低条件とも言える社会保険の加入を守るべきだという見方もあったろう。

保険未加入企業排除の真意

  もっと急進的な見方は、供給過多の産業構造にメスを入れるためには「不良・不適格業者の排除」が必要だとされていたが、この「不良・不適格」という排除基準が抽象的で効果が薄いから、「保険未加入」という具体的かつ社会的な基準により再編淘汰をしようというものであった。

  こうして、いろいろな見方が折り重なって、「保険未加入企業の排除」というテーマが登場したのだが、「排除」という政策コントロール的な手法を想定し、「企業」を対象としていたことを考えると、テーマの真意は、優れて構造改革的な供給過多解消を意味していたのだと思う。

  だが今回、それがいざ実施されることがはっきりしてきたら、大混乱になるから困るという声が出始めている。その声は、特に雇用の当事者である専門工事業の経営者から出始め、次第に大きくなっている。

  その声に耳を傾けてみると、価格競争やダンピングが激化し、体力勝負に突入し、これしか出せないという指値になってくると、職人の賃金も低く抑えざるをえなくなるという現状からの指摘である。そうした低賃金では、職人は食っていけないから、保険料抜きで手取りが高くなるほうがいい、と求めてくるのだという。専門工事業界も苦しいし、厳しいコスト要求に応えなければ仕事を受注できないから、分かっちゃいるけどやめられないとなってしまう。保険に加入している職人を雇っていたところが、価格競争やダンピングの激化で保険加入をやめざるを得ないのが切実な現状だというのである。価格競争の現実に強いられて、雇用保険や厚生年金保険の加入を断念しているのに、その苦境に追い打ちをかけるような施策を国が実施するとは、あまりに非現実的ではないか、と言うものだ。それは結局、市場原理のあおりを受けて体力の弱った専門工事業を排除するだけで、原因は元請間の過当競争にあるのだから、解決にはならないという声なのである。原因はそのままにして、現象だけに対処療法を当てているという批判とも言える。

社会性喪失を物語る数字

  その指摘もなるほどと思うのだが、戦略会議で明らかになった数字は、建設産業の「社会性の喪失」を物語っていて、愕然とさせられる。2009年度実績で、建設労働者単位の雇用保険加入率が50・7%、厚生年金加入率が61・8%だという。製造業は前者が86・5%、後者が87・1%だというから、建設労働者の低率ぶりはいかにも顕著だ。雇用保険に建設労働者の半分しか加入していないのには驚く。

  しかも、国土交通省が独自に行った地域別の建設企業の保険加入状況にはもっと驚かされる。東京の建設企業の保険加入はわずかに2割だという。地方のほうが保険加入率は高く、9割以上の県もあるが、建設企業が集中している東京で、「保険未加入企業の排除」が断行されたら、8割の建設業が市場から退場することを意味する。供給過多解消というより、供給そのものの減退を招きかねず、専門工事業の奪い合いとなり、工事ストップ、機能不全という事態にもなりかねない。一方で、それだけ東京など大都市圏で激しい価格競争が進行し、荒廃した雇用関係が支配的になっているとも言える。いきなり「排除」の手法は多くの血を流すことになりかねないが、だからといって、この社会性喪失の現状を回避してはならない。

  専門工事業団体の連合組織である建設産業専門団体連合会(才賀清二郎会長)は5月20日に国土交通省と意見交換し、保険未加入者の排除を要望し、この問題に一歩踏み込んだという。専門新聞の報道によれば、才賀会長は「賛否両論あったが若い人を入職させるためには不可欠だ」と語っているという。

  確かに、その英断には感服するが、この問題の持つ企業淘汰という特質が「若い人の入職」という雇用問題の美学へ転化されているところが気がかりである。仮に雇用問題ならば「保険未加入企業の排除」という荒療治をしなくてもいいという流れを許すことになる。淘汰か雇用か、そのことをきちんと区別して問題を立てなければ、本質的な構造改革の大ナタが、またたく間に腰砕けの施策へと転化しかねないと思う。
 
   
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