市場のグローバル化、人口の減少と高齢化が進行する時代を迎え、
国力の低下が危惧される日本。
いまこそ、一人一人の人間力を高める「人づくり」が必要とされている。
そこで本誌では、建設業のみならず、これからの産業を支える「人づくり」について
考えていく。
第一回は熟練した現代の匠の技術、第二回は人と人との繋がりを意識した
若き社員への教育・研修、第三回は明日を担う子供たちへの思いの伝承について
取材し、さまざまな分野での試みに迫る。
建設業をはじめ、ものづくりに関わる産業の就業者数は年々減少している。
しかし、日本のものづくり技術は世界でも評価されており、
これからの産業を牽引する大きな力となり得るのではないだろうか。
これからのものづくりに新たな希望を見出すために、
最先端の現場で働く現代の匠を訪ね、
それぞれの技術とその技術の伝承に対する思いを聞いた。
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辺見厚志(Atsushi Henmi) 株式会社大林組 新タワー建設工事事務所 主任(機電担当) |
Profile 機電職として大林組に入社。タワークレーンなどの工事機械・電気関係の計画・管理が主な仕事。クレーンオペレーターと鳶職などをまとめ、建設資材の揚重を行う。クレーンのメンテナンス時などに操縦席に着くが、スカイツリーの前人未踏の高所も「まったく怖くない」。 |
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「地上に降りると少しほっとします。上の現場ではある程度の緊張感をもつことも大切ですから」。ツリーからの眺めは「富士山が裾野まで見えて、抜群です」。
高さ300mを超えた頃、東京スカイツリー®は都内周辺の街並みのそこかしこから、急に視界に入るようになった。まず、目に飛び込んでくるのは、頭部に据えられた赤色のタワークレーン。ツリーの外に張り出して伸びるブームも、まるでツリーの成長のシンボルのように、街を行く人たちの記憶に焼きついた。ただ、そこでクレーンを稼動させている人たちの姿は、あまりに遠すぎて見えない。
「高さが違うだけで、クレーンの仕事はツリーの場合も、ビルを建てる場合も、基本的にはなんら変わらないですよ」。ツリーを建設している大林組で、「機電」を担当する辺見厚志さん(36)がよく通る声で、はずむように話し出す。辺見さんはタワークレーンやエレベーターなど、現場のすべての工事機械、電気について計画業務、施工管理を担当。仕事は幅広いが、タワークレーンの作業現場を仕切る要の役割を担っている。
タワークレーン自体には、国内の建築物への適用では初の300m超えに対応し、多くの工夫が盛り込まれている。とくに大きいのは風対策。高所に吹く強風でクレーンがあおられないための安全策である。作業中の突風なら、クレーンオペレーターの操縦でブームの向きを変えて風を受け流すことができる。しかし、運転席が無人のとき、夜間や休日はそれができない。そこで新たに導入されたのが「旋回アシスト」だ。
コンピューター制御によって、風速と風向を検知し、自動でブームが旋回、風下を向かせるシステムである。ほかにも、設置場所の面積が限られるなか、クレーン同士が接触しないよう、回転半径を小さく、後部をコンパクトに改良した点や、地上の作業ヤードに届く420mのワイヤーを装備するなど、今回の工事を安全に効率よく進めるため、なくてはならない特別仕様が用意された。
そのうえで、日々の現場をスムーズに進行させるのが辺見さんの仕事だ。現場のすべてがそうであるように、荷揚げ作業もチームワークが重視される。そのためにチームメンバーの顔ぶれは一貫して変わらない。オペレーター一人に、無線で合図を送る鳶職二人の組み合わせで、第一展望台まではクレーン三基に三組九人、その後は一基を増設して四組12人、そこに辺見さんを加えたチームがこれまで2年以上、ともに働いてきた。「奥さんよりも一緒にいる時間が長いというメンバーもいる」と辺見さんは笑い、オペレーターは高度な技能と同時に、周囲と気持ちよく話せる性格が大切だと言う。日々同様の作業を繰り返しながらも、現場で気づいたことをメンバー同士が提案しあうことで、安全性や工事効率がアップする。たとえば、地上から300mまでの工事では三基が19回のクライミングを行ったが、一回に要する時間は当初の1日半から二分の一ほどに短くなっていった。コミュニケーションによってチームとしての熟練度が上がった成果であり、全員がやりがいを感じた場面でもある。
世界最高の634mまで達し、展望台の内装資材揚げなどに作業が移ったいま、タワークレーンが一基ずつ姿を消す日もそう遠くない。「そうなれば、肩の荷が下りてほっとするかもしれませんね」と辺見さん。そのとき地上から見上げるツリーは、メンバーの目にどのように映るのだろう。
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西田政義(Masayoshi Nishida) 家具工房西田 代表 |
Profile 小中学校時代を佐賀県多久市で過ごす。中学卒業後、大川市の家具工房に弟子入りし、27歳で独立。稀少な材料を蓄えつつ、40歳ごろから自分のつくりたい家具がメインの仕事となる。個性的な形、緻密なつくりや豊かな質感の家具が好評を得ている。 |
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西田さんの工房には鑿、鋸(のこぎり)、鉋など多種多様な道具がひしめき、床には何気なく丸太や端材が置かれている。
「どんなものをつくろうかって、見ているうちに自然と分かってくるんですよ」
有明海に注ぐ筑後川河口に面する福岡県大川市。日本有数の家具産地として名高い。江戸時代に盛んになった指物技術の伝統が、現代まで木工家具、建具、彫刻欄間などに受け継がれてきた。家具は昔は箪笥などの箱物が中心だったが、現在では住環境を彩るトータルインテリア産業として成長。機械化が進み、テーブル類や椅子、ソファ、キャビネットほか、製品は多岐にわたる。ただ、近年は安価な輸入家具に押され、地元のつくり手にとっては規模の大小を問わず厳しい状況がつづく。
そんななかで、西田政義さん(63)は一品物の手づくり家具の職人として注目されている。職人仕事は一定のスタイルを踏襲するか、外部から注文を受けたデザインを形にすることが多いものだが、西田さんは一貫して自分の目で材料を選び、木の大きさや形からデザインを発想し、鑿や鉋の手技で製作する。
工房の二階にお邪魔すると、古木の表情たっぷりの酒卓があるかと思えば、背や座板が優美な曲線を描くベンチ、男女が寄り添うイメージから生まれたタンス、トランク型の鏡台など、自由な造形に目を奪われる。
「ほかにはない、使って楽しい家具をつくりたいからですね」と、九州弁でおだやかに語る西田さん。何よりも、家具をつくることが好きでたまらないという。大工さんだった父親の影響で、15歳で家具職人の弟子となり、4年半の修業の後、漆などを勉強し、27歳で独立。注文家具などの仕事の傍ら、美しい杢目の出る材料を買い集め、自分のつくりたい家具を仕上げていった。
それを見た周囲の人たちの勧めで、20年ほど前に福岡市で開いた個展が転機となる。好評を得て、固定客がついた。形ばかりではない、緻密なつくりや豊かな質感に惚れ込んだ顧客が工房を訪れては新しくできた家具を買い求めていく。「私は職人ですから、用を主体としたオブジェをつくることを心がけているわけですね。そして、頑丈に、長く使えるように手は抜かないとです」。
その思いが家具に込められ、使う人に伝わる。そこに信頼が生まれるのだろう。
西田さんの家具に魅了され、教えを請いにやってくる若い学生や職人も多い。いまは弟子を取らない西田さんだが、手の空いたときに彼らを受け入れ、身体で教え込む。「失敗してもいいから、じゃんじゃんつくらせるわけですよ。つくってはじめて自分の欠点もわかる。いまでも手づくりの技術を持っている職人はたくさんおりますよ。しかし、手間がかかって儲からんといってやらんとです。ようは、いいものをつくる覚悟をもつかどうかです」。その言葉は信じる道を歩んできた人ならではの強さを秘めている。家具づくりで将来を切り拓こうとする若い人たちにとって、西田さんは道標のような存在なのだろう。
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牧野智宏(Tomohiro Makino) アスビオファーマ株式会社 探索第二ファカルティ副主任研究員 |
Profile 大学でバイオテクノロジー分野を専攻し、1999年に入社。現在、ペプチド、酵素、抗体などの生体内物質の探索研究を担当。製薬業界に入った動機の根底に、子供の頃祖母をガンで亡くし、「この病を治したいと思った」ことがある。 |
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「この会社で働いている人は、前向きというか、前のめり!」。
新たな「薬のタネ(シーズ)」を探し出し、新薬を研究開発する分野を「創薬」という。耳慣れない言葉だが、製薬会社が未知の薬を生み出し、製造・販売する過程の先端的な部分といってよいだろう。新薬の開発はこの10年で、新しい時代に入っている。20年程前に視野に入っていた新薬は大方出尽くし、画期的な効果をもたらす次なる薬のタネは見つけにくくなった。これまで主流だった化学的に合成した薬効物質をタネとする化学医薬品の時代から、人体に実際に存在する蛋白質や遺伝子をタネにして病態を改善させる「バイオ医薬品」の時代を迎えている。抗体医薬品もそのひとつだ。人体の免疫機能を司る抗体を利用して、ガン、自己免疫疾患や感染症を治療する薬をつくるための研究が世界的に盛んになっている。
だが、日本で研究開発から製品化までにかかる時間は、10年から20年を要し、しかも成功確率は決して高くないのが現状だ。従って息の長い研究と膨大な先行投資を製薬会社は背負わなければならない。一方、国内需要の縮小に伴い、日本の製薬会社も海外シェアの獲得に乗り出し、米国を中心とする大規模企業に遅れを取らないために、企業合併が進んできた。創薬の重要性は増すばかりだ。
日本では稀だが、この創薬に特化した会社がある。アスビオファーマ株式会社は、第13共株式会社のグループ企業の一員として、東京、大阪、群馬に拠点を持つ製薬会社であり、創薬に意欲的に取り組んできたが、2010年4月に社業を研究開発に絞り込み再編成。同年10月、神戸市のポートアイランド第二期に拠点を移した。ポートアイランド第二期は医療関連の企業が集まり、医療と経済の発展を目指す神戸医療産業都市を形成している場所である。
「創薬のスタートラインであるシーズ探索や、新しい薬に成り得るメカニズムを探す部分がとても大事です」。牧野智宏さん(36)は探索部門の副主任研究員。研究員といえば、研究室に籠って実験三昧といった孤独なイメージを抱きがちだが、快活、身軽に動き回っている空気を漂わせる。
現在牧野さんが進めている仕事のひとつは、社外に目を向け、国内外の大学、企業などと共同研究するための新たな枠組みづくり。より最先端の情報、技術、シーズなどを導入し、新しい発想や切り口を見出すには大きな力になるという。そのきっかけは牧野さんが2008~10年にアメリカの大学へ留学した経験にある。「そこでどっぷりとひとつの研究に浸かり、世界で一流の研究者たちと切磋琢磨することで、多くのアイデアや考え方の切り口があることを教わった」と回想する。しかし、それ以前におもしろいのは、留学先やテーマは自分で探すように会社から言い渡されていたことだ。個人のキャパシティを広げ、人的ネットワークをつくり、経験値が後の仕事に生きればよいという懐の深さ。人重視がオリジナルの研究を生む土壌をつくるのだろう。
「この会社で働いている人は、前向きというか、前のめり!」と笑い出す牧野さん。部下の心をつかむコツをたずねたら、考えたことがないという。牧野さんの姿勢や言動が、自然に屈託なく向き合う気持ちを若い人たちに抱かせるのに違いない。
最先端の建設現場、木工デザインの世界、未知の薬を探す研究とそれをアシストする空間。技術立国日本を支える人々の技術の背景に、たくましい志と、継続のなかのチャレンジがあった。
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