上野の森に学術の殿堂として建設された日本学士院会館。 その姿は碩学の府にふさわしい荘厳な雰囲気と気品を備えている。 また、学術・芸術の枠組みを超えた飽くなき「探求心」によって表現された
伝統と文化を象徴している。
西側から正面外観をみる。外壁には小口の朱泥タイルが貼られ、6mmの目地は埋められていない。
日本学士院会館は、木々に覆われた上野恩賜公園の北東隅に建っている。国立科学博物館に隣接し、寛永寺輪王殿に面した場所にある。訪れたのは6月初旬、初夏の豊かな緑の中に凛とした姿で建っていた。建物は竣工後約40年経過しているが、外壁の朱泥タイルは驚くほど美しく、竣工当時そのままの姿を保っている。
日本学士院は、わが国の学術的功績が顕著な科学者を優遇するために、文部科学省に設置されている機関である。明治12年に福沢諭吉を初代会長として、西欧のアカデミー制度をならい創設された。以来130年の歴史をもつ。特に本院における恩賜賞及び日本学士院賞の授賞は学界でも最高の栄誉とされ、毎年天皇皇后両陛下ご臨席のもと授賞式が行われている。
工事概要
所在地:東京都台東区上野公園内
建築主:日本学士院
設計:建設大臣官房官庁営繕部
谷口吉郎建築設計研究所
施工:戸田建設株式会社
工期:昭和48年4月~昭和49年3月
敷地面積:3,300m2
建築面積:1,275m2
延床面積:4,782m2
階数:地下1階 地上3階 塔屋1階
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
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1970年頃、旧会館の老朽化に伴い新会館の計画がもちあがった。旧会館は本院の様々な機能を満たすには十分ではなかったという。計画は建設省の直轄工事として行われ、建築設計を谷口吉郎氏が担当。時の佐藤栄作、田中角栄内閣のもと建築委員会が設置され、設計者、建設省関係者による打ち合わせが綿密に行われたという。
工事は順調に行われたが、工事後半で第一次オイルショックに遭遇した。資材価格が高騰し人員も削減を迫られ完工も危ぶまれた。そこで工事にあたっていた戸田建設は、本院の現場を社内で最重要現場に指定して人員を増員した。またブリヂストンの石橋正二郎氏から議場の内装費用の寄付を受けて何とか完成したという。こうして日本学士院会館は約1年の工期の後、昭和49年5月30日に落成式に至った。
議場内部。天井には幾重にも重なる「扇」が表現されている。音響も良い。演壇の屏風は固定式。
日本学士院会館は、地下一階、地上三階の建物である。一階に事務室や役員室の他、20万冊収容の充実した書庫と閲覧室。二階には、授賞式や総会等を行う議場、便殿(両陛下の控え室)、貴賓室、会員控室、会員応接室などがある。三階には、部会室二室、会議室四室があり、地下にはパーティーができる食堂がある。建物全体の構成は、議場や書庫等が入る正方形の平面をもつボリュームを、会議室や部会室といった諸室が整然と並ぶL字のボリュームが囲む。簡潔で機能的な平面構成である。このことで本院の多様な活動を合理的に行うことが可能となった。各室の内装も華美なものではなく、質素で落ち着いた雰囲気である。
この建物の中心は授賞式や総会等を行う議場である。その議場は約22m×22mの正方形で、対角線方向扇状に固定式の机と座席が設置されている。床は絨毯敷きで演壇に向かって緩やかに傾斜している。壁は前方が木目調、後方が木竪格子で、行燈をイメージさせる照明が取り付けられている。また天井は幾重にも重なる「扇」のデザインになっており、日本的な雰囲気であると同時に音響的にも優れている。しかし現場では、この扇形の天井面に円形の穴を開けダウンライトや空調ダクトを取り付けるのに大変苦労したという。このように日本学士院会館の内部空間は、荘厳と気品そして機能性を備えた「和」の空間となっている。
1階ロビー吹き抜けの大階段を上ると議場に至る。壁にはシャモットタイル。日本の伝統を表現している。
建物の外観も碩学の府にふさわしく清らかで品格がある。建物の高さは低く抑えられ、ファサードのプロポーションは極めて美しい。同時に壁には朱泥タイルが貼られ、手のぬくもりが感じられる。またこのタイルは横に細く偏平で、大小交互に馬目地で貼られ6mmの目地は埋められていない。職人はひとつひとつタイルを貼り、自分が気に入るまで何度もやり直したという。気の遠くなる仕事である。このため出隅のエッジも鋭く、繊細な技の緊張感が伝わってくる。
窓は縦長で、上階にいくに従って前面に突き出している。この縦長窓が、一定のリズムで横方向に反復されている。またこの縦長窓の幅は、隣接する壁の幅に比べて狭い。これら窓群は、重厚な壁面に厳密なルールで孔を穿つことを表現している。さらにファサード全体を見てみると非対称である。このことは古典や権威を象徴する対称性を崩し、モダンさと自由さを表現しているようである。またこの非対称形は平面にも現れており、動線も直線的ではない。これは茶室や桂離宮のような日本の伝統空間を表現しているようである。
日本学士院会館は、「アカデミックとはなにか」を追求し表現した建物である。それは建築主、設計者、施工者がそれぞれの立場で探求し発見したものである。学術的プロセスになぞらえることができるこの一連の「探求心」が、建物をより美しいものにしているのではないだろうか。その高潔で謙虚な精神は、会員の方々にも認められ、建物は現在でも大切に使われ、愛されているという。これからも、わが国の伝統と文化を継承し、建ち続けることを願う。
建築主より
積み重ねられた伝統や文化を受け継ぐために
日本学士院 事務長
萩 明(Akira Hagi)
40年ほど前の事ですので、日本学士院の職員で当時の状況を知る者はおりません。しかし建物は、会員の方々にとても愛されて大切に使われております。長倉三郎前院長は「伝統と将来に対する役割(学問に対する新しさ)の両面から、学士院の立場にふさわしい建物になっている。活動を展開しやすいという意味で機能性を備え、会員の立場を尊重して建てられている」とおっしゃられております。また久保正彰院長も「全体的に品良く作られている。総会議場の壁の照明が日本のかがり火のようで、特に気に入っている。総会議場という重々しい立派な部屋に、授賞式や講演会で若手研究者や子供が座るときが一番うれしい」とおっしゃっております。運営側も使い勝手がよく機能的で、また学士院にふさわしい雰囲気の建物だと誇りに思っております。
われわれ日本学士院職員の一番の使命は、130年の長きにわたって積み重ねられてきた学術の伝統を継続していくという事だと思っています。まずは古いものをきちんと守っていく。その上で、新しいものを生み出す環境を整えて行くことが重要だと考えています。先人の方々は、すばらしい建物を残してくださいました。分からない事をとことん探求していくという美しい研究の精神が建物にも宿っていると思います。毎年、一般公開の講演会等を企画しております。是非お越しください。
施工者より
「設計の凄さ」と「職人魂」を実感した現場
元 戸田建設株式会社
池上 肇(Hajime Ikegami)
日本学士院会館は、私にとって入社して11年目八つ目の現場でしたが、改めて設計の凄さと職人魂を実感しました。設計図からだけでは分からない凄さ。建物が出き上がるにつれて考えてもみなかったほどすばらしいものになるという、本物のものづくりへのこだわりです。そのような経験ができたことを幸運に思っています。
建物の内外装には、沢山の種類のタイルが用いられています。設計者の谷口吉郎先生は陶芸に興味をお持ちで、タイルにこだわりを持っておられました。名古屋のタイルメーカーの工場と直接交渉し、色や形を全て決められました。私もそのサンプルの受け取りのため、夜中に車で名古屋と上野を何度も往復したのを覚えています。またタイルの貼り方も手のかかるものでした。しかし職人も、先生の「この建物はあなたの孫の代まで残るものだから、恥ずかしくない仕事をしなさい」というお言葉とお人柄に感動し、かつ励まされて一生懸命やってくれました。気に入らない部分は自ら壊して直したほどです。それほどの情熱とこだわりをもって取り組んでいました。
工事の後半は第一次オイルショックに見舞われ苦労の多い現場でした。急激な資材価格の高騰と職人、特に型枠職人が足りなくなりましたが、社内で最優先の現場に指定し、何とか工期通りに完成させました。まさに社運をかけて取り組んだ現場であったといえます。
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