栃木県日光市馬返から中禅寺湖畔までの坂道として知られるいろは坂の名は、第一と第二のいろは坂にある48のカーブをいろは48文字に擬(なぞら)えたもの。昭和28年国道120号日光沼田線指定後に全面改修され、 翌年日本で2番目の有料道路として供用開始。
原義からすれば観光は全ての場所の景観が相手となるが、他国の制度や文物を視察することから、異郷を旅して見聞を広めるという意味に時と共に転じ、やがて観光施設を訪れることに傾斜していった。特に昭和後期、歴史的文化財等の観光資源の発掘や紹介がディスカバー・ジャパン等のキャンペーンを通じて行われ、観光企画や観光ガイド等産業化、商業化が進み、観光施設の計画や設計、観光地開発が行われるようになる。そして車が普及し始めた昭和半ば、山並みの中を走り抜けることそのものを楽しむための観光道路がつくられるようになった。国民のための国見の道だが、観光の視線は山野に向けられ、人里は埒外となった。