ACe建設業界
2011年9月号 【ACe建設業界】
ACe建設業界
特集 日本の景
 第1回 「転」
BCS賞受賞作品探訪記
官庁施設の
 防災機能強化へ
天地大徳
遠近眼鏡
世界で活躍する
 日本の建設企業
現場発見
建設の碑
フォトエッセイ
目次
ACe2011年9月号>フォトエッセイ
 

[フォトエッセイ] 続・昭和の刻印

国見の道
【観光道路】

 
 
 
[文]
窪田 陽一(Kubota Yoichi) 埼玉大学大学院理工学研究科・教授
[写真]
尾花 基(Obana Motoi)

大分県湯布院の水分峠から阿蘇の一宮町を結ぶ県道11号はやまなみハイウェイとして知られる阿蘇観光の基幹道路。昭和39年に日本道路公団が管理する有料の別府阿蘇道路として供用開始。

クリックで拡大画像を表示

 暫く前になるが、観光立国という言葉が国策の一つに掲げられるようになった。時の首相は、わが国の文化や観光の魅力を世界に紹介し訪日外国人旅行者を増加させて地域の活性化を図る、と施政方針演説で表明し1千万人の訪日外国人を誘致する目標を掲げた。国際化の波に乗り遅れまいとする姿勢に一理はあるが、その下地の実像が気にかかる。

 現代の観光の目的は多様化している。嘗て賑わった観光地が時流に取り残された姿は見る影もなく、そもそも観光とは何であったのか、その本意は何であったか、改めて思わずにはいられない。

 観光という言葉は、儒教の基本文献である五経の筆頭に挙げられる『易経』にある観の卦の爻辞「64、観国之光 利用賓于王」に由来するという説が知られている。この短文は「国の光を観る、もって王に賓たるによろし」と読むが、現在の観光よりもその意味するところは抽象的である。儒教を社会の綱紀の規範とした江戸幕府が朱子学を奨励したことにより易経を学ぶ人が増え「観国之光」また簡略に観光という言葉が広がったとする説がある。造園学の泰斗、上原敬二は昭和18年に上梓した『日本風景美論』の風景地計画の項で前掲の言葉を引いた後、「君子が幸に文明の君に遇ふ、當に賓たるの願ひを達すべきである。国の光は紀綱文章の盛なるをいふ」と説き、朱子学の教科書とされた『程伝』による解釈も踏まえながら「これから転じて他国の山水風物を遊観することにこの観光といふ文字を使ふやうになった。」と述べている。


日南海岸国定公園は観光宮崎の表看板。海岸を走る国道宮崎国分線は、昭和30年代に改良工事が進められ、日南海岸ロードパークへと生まれ変わり、新婚旅行のメッカとなった。

クリックで拡大画像を表示

  字義通りに解すれば観光とは国の光を観照することであり、国を成り立たせる基底にある本質を社会の態様から読み取ることである。光とは風光であると言いたいところだが、そうではなく、人々の日々の営みを通じて感得される、国政統治の根本となる制度や規律そして言論文化の広がりと深さを意味すると捉える方が原義に近い。普段の日々の様子をありのままに見ることこそ観光の本義だったとすれば、選別された観光資源だけではなく、人々が生き暮らしている町や村の姿そのものを観察する旅行者の主体性が肝要となる。

 イタリアの文学史家で文化人類学者のピエロ・カンポレージは著書『風景の誕生―イタリアの美しき里』で大地と人々の豊かで緊張感に溢れる関係を活写した。14世紀から16世紀頃の欧州の人々はありのままの自然には無関心で拒絶感さえ抱いていたが、人の営みが見られる土地や物を産み出す大地の力には素直に感動したと彼は説く。それこそがランドスケープの語源であり、その訳語である景観は人々が拓いた土地の姿を意味することになる。国を観ることの面白さとは詰まるところ景観の魅力に支えられているのである。

栃木県日光市馬返から中禅寺湖畔までの坂道として知られるいろは坂の名は、第一と第二のいろは坂にある48のカーブをいろは48文字に擬(なぞら)えたもの。昭和28年国道120号日光沼田線指定後に全面改修され、 翌年日本で2番目の有料道路として供用開始。

クリックで拡大画像を表示

  原義からすれば観光は全ての場所の景観が相手となるが、他国の制度や文物を視察することから、異郷を旅して見聞を広めるという意味に時と共に転じ、やがて観光施設を訪れることに傾斜していった。特に昭和後期、歴史的文化財等の観光資源の発掘や紹介がディスカバー・ジャパン等のキャンペーンを通じて行われ、観光企画や観光ガイド等産業化、商業化が進み、観光施設の計画や設計、観光地開発が行われるようになる。そして車が普及し始めた昭和半ば、山並みの中を走り抜けることそのものを楽しむための観光道路がつくられるようになった。国民のための国見の道だが、観光の視線は山野に向けられ、人里は埒外となった。

 国見の眼差しがまちなみに向けられる今、訪れた場所の眺めに看板や電柱が介入する景観は、綱紀ある国の光を感じさせるだろうか。景観法が施行され、日本風景街道の取り組みが各地で展開されているが、国の光を観るための礎を昭和に築いてきたかどうか、内外の眼差しが向けられる程の魅力の在処を、素直に見詰めてみようではないか。


 
   
前月へ  
ページTOPへ戻る